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25 2017

喜多埜稲荷神社と萬載橋


キタにある綱敷天神社。

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天神さんの大鳥居の横に寄り添う赤い鳥居は、

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綱敷天神社の境内にある「喜多埜稲荷神社」なのであります。

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御稲荷さんの縁起を綱敷天神社ホームページから引用しますと、



 当稲荷神社の創建の記録は度重なる戦災の為焼失しており、創建の由緒は不詳であります。


  しかし、古伝承や古書等の記録を調べるに、北野の地が喜多埜と呼ばれていた頃に由縁する社名であると思われ、キタのお稲荷さんとして深い信仰をあつめています。


  戦前には修験道の方々により御火焚行事も盛大に行われていた記録があり、ただのお稲荷さんというだけではなく、信仰の場と密着した神社でありました。


  現在の社殿は、戦後復興から経済大国へと発展しつつあった昭和37年10月14日に喜多埜稲荷講の講旗に入魂式が行われている事から、その頃ではないかと思われます。


  現在では、農耕神としての信仰ではなく商売繁盛の神さまとして信仰篤く、キタで会社を営む方々からは特に深く信仰されております。



とのことで、綱敷天神社同様かなり古くからキタの地に鎮座しておられるようだ。




お社の前に橋が架かっているのが面白い。

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萬載橋

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喜多埜稲荷神社の社殿前の両脇にあるこの石は、安政二年(1855)五月五日に架橋された萬載橋という橋の欄干でした。架橋されていたのは、当宮の精門を出て北、現在の神山町と万歳町の間あたりといわれ、かつてこの地にあった北野青物市場へと続く、天満堀川からの掘割の水路と、能勢街道(池田街道)との交差点に架橋されていたのではないかと考えられています。


名の由来は、「万の米俵を載せても大丈夫」という説と、かつてお正月などに、芸人が街々を回って面白おかしく話芸を披露した「萬歳(現代の漫才の元)」をこの橋の上で披露したからという説がありますが、正確なところは不明です。ただ、現在の万歳町の名の由来はこの橋に依るといわれています。


この橋が架けられた前年、安政南海大地震が発生しており、それ以前に架橋されていた橋が何らかの被害を受け、架け替えられた可能性も指摘されています。橋には寄進された方々のお名前が彫られており、北前船にゆかりある北風家と思わしき名前も見られます。


明治以後、梅田が市街化するに従って、水路が不要になり、橋も破却され、欄干のみが当宮境内に記念として残されました。りなみに、浪速八百八橋のうち、現存最古の欄干ともいわれています。




古地図に当たって川を探してみたら、明治五年の「大阪圖」に見られた。

まんざいばしキャプチャ

綱敷天神の北に川が流れており、おそらく赤丸で囲ったところに萬載橋は架かっていたっぽい、

気がする。


ホームページには、今の新田布団店の前あたりではないか、と書いてある。



現在の地図に、新田ふとん店あった!


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おお~、天神さんと橋の位置関係が、明治五年の地図ととても似通っているように思う。





社殿の格子がモダーン。キタノ イナリ と模様格子になっている。

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行燈もアールヌーボーっぽくてステキ。

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吽形のキツネさん。

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キタのお稲荷さんでした。



 綱敷天神社 http://www.tunashiki.com/






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